先日、僕の好きな映画監督ウディアレンのドキュメンタリーを観てハッとした事がありました。
ウディアレンは自身の作品がアカデミー賞にノミネートされたにも関わらず、趣味でやっているビッグバンドの演奏会を理由に授賞式を欠席した事で有名なのですが、その当時を振り返って彼は、
「受賞するのは、その作品がただ人気だったからだ。その作品が優れているかとは関係無い。だから受賞しても何も嬉しく無い。陸上なら一番早かった選手が1位になるし、1位の人が一番優れていると分かる。僕も陸上で1位になったら嬉しいけど。」
と言っていました。
元々皮肉屋のウディアレンらしいコメントですが、これは映画や音楽などのアートに限らず言える事だと思います。
コーヒーも、豆に等級や、鮮度の違いはあれど、好みは人によってそれぞれです。
同じコーヒー好きでも、浅煎りが好きな人もいれば深煎りが好きな人もいるし、浅煎りが好きな人の中でも、ケニアの柑橘系の明るい味が好きな人もいれば、逆にそういうのは苦手で、エチオピアのベリー系の酸味が好きな人もいます。
「コーヒーは奥が深いとよく言うけど、そうじゃない。コーヒーには、元々正解がないんです。」
とは、福島のカフェひらながの方が言っていた言葉。
大切なのは、違いを認め合う事だと思います。
「君も良いし、僕も良い」
あらゆる事でそう言い合える事、白黒はっきり付けない事が、これからは大事になってくるんじゃないかな、と思ったのでした。